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あゆみ

相愛学園の音楽専門教育の歴史は、明治39年『相愛女子音楽学校』の開設に始まります。

昭和12年には『女子専門学校音楽科』が山田耕筰先生を中心に設立され、 ドイツからも先生を招聘して、当時関西における特異な存在として注目を集めました。しかし戦争で空襲にあい、本町校舎はすべて焼失してしまいます。

終戦後、教育制度の改革に伴い女専は昭和28年『相愛女子短期大学音楽科』として発足、あわせて『相愛高等学校音楽科』も開設され、短大に接続して教育機構の強化がはかられました。また昭和30年には短大音楽科長に山田耕筰先生を迎えています。

相愛が復興、拡充に必死になっている頃、東京では井口基成、伊藤武雄、齋藤秀雄、吉田秀和の各先生方による『桐朋学園子供のための音楽教室』が着々と成果をあげていました。これには山田耕筰先生も注目され上記の四人の先生方のほかに、井口愛子、池内友次郎、柴田睦陸、鷲見三郎、團伊玖磨、山田真梨子先生など日本を代表する教授陣を迎えて教育内容も充実したものとなりました。

そしてぜひ大阪にも音楽の早期教育の教室を、と昭和30年10月いよいよ『相愛学園子供の音楽教室』が誕生します。短大が大学に移行する2年半前のことです。

『相愛学園子供の音楽教室』は井口基成、伊藤武雄、齋藤秀雄、吉田秀和の諸先生を中心に、
広く関西一円の優れた音楽家たちの協力を得て、総勢70~80名の教師陣でスタートしました。

生徒たちは遠くは神戸以西、奈良、和歌山方面からも集まり、オーケストラやコーラスの授業は開設後2~3年しないと無理と考えられていたのが、わずか半年で開始することができました(これが現在の相愛オーケストラの母体となります)。

昭和32年3月には中3修了者8名のソロとオーケストラによる第1回の演奏会をガスビルで開催、また翌33年3月には同じく第2回演奏会が完成したばかりの相愛講堂で盛大に行なわれました。

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